Baseball Concrete Blog

主にプロ野球について、セイバーメトリクス的な考えを交えながら好きなことを書いています。

打点という指標の本質的な問題

最近あまり書くことがないので、セイバーメトリクス系の記事のご紹介。
以下の記事は明晰な論理による分析に定評がある(というか私がそう思っている)Colin Wyersによる、打撃の定量的評価に関する論文です。
別にごく新しいってわけじゃないので、既にご覧になった方も多いかもしれませんが。

What are little runs made of?

内容としては、得点を構成する基本パーツである「塁」と「アウト」に注目して、ヒットなどプレーごとに発生する進塁とアウトを細かく勘定して最後に4で割れば見事にLWTS(Batting Runs)が出てくる、ということを示しています。
なかなか手順が鮮やかで、その部分自体もちろん学ぶところが多いのですが、個人的に最も感銘を受けたのはその導入にあたる打点に関する論考部分。
打点のそもそもの問題点を簡潔に指摘しており、納得する中身です。Tangotigerはこの記事をセイバーメトリシャンの必読文献と言っていますが、そこまで推す理由にはこの、ただ闇雲に指標を作ろうと言うのではなく本質的に論理を捉えようとする姿勢への評価があるのではないかと個人的には思います。

私も強く影響を受けて前にサイトにも書いたところですが、Wyersが取り上げているのはセイバーメトリクスに否定的な人が口にする「どうして単純に「打点」や「得点」を使わないのか。あれらは真実/現実の得点であって、なんだかよくわからない机上の計算で式をこねくり回した指標なんてナンセンスだ」といった指摘。結構、日本でも「なんだかんだ言っても打点は真実の得点」といった意見がありますよね。
ではWyersがどう論じているか。下手くそな訳ですが引用してみましょう。


チームレベルとすれば、このこと(打点こそ真実の得点ではないかという意見)は本質的に正しい。一部の例外的な相違(併殺打の間の得点や相手の失策の間の得点)を除けば、打点と得点は一致するだろう。だからチームレベルでは勘定が合う。
しかしそれぞれの打点が打者個人に割り当てられる過程に関して言えばそれはもはや、必ずしも我々が考案する他の方法と比べて「真実」のものではない。その過程は野球の本質への重大な誤解に基づいている。

問題は、記録されたチームの得点に対して「得点」と「打点」を与えることで全ての得点を(自身の本塁打による得点の場合を除き)二人の選手だけが貢献したように、また二人の選手がその得点に等しく貢献したように扱うことである。これらの想定はどちらも、明らかに間違っている。少なくともほとんどの場合において。

例えば、イニングの先頭打者が出塁し、二人目の打者がその走者を還すことを考えてみよう。先頭の打者は「得点」を得て、二人目の打者は(その得点についての)「打点」を得る。これは以下のようなケースで起こり得る。

・先頭打者が死球で出塁し、次の打者が本塁打を打つ。
・先頭打者が単打で出て、二塁へ盗塁し、次の打者が単打を打つ。
・先頭打者が三塁打を打って、次の打者が犠飛を打つ。

こういったケースで、これら二人の打者が等しい程度に得点の原因となっているなどと誰が考えるだろうか。

そしてこれらは二人の打者についてしか考慮していない。当然、打点を上げる打者がそこで得点を上げる走者の直後に打つのではないという場合もしばしばある。そしてそれら中間に位置する打者はその得点に対して何の評価も与えられないのである。
打点の論理に従えば、三振をする打者は犠打で走者を二塁に進める打者や単打で走者を三塁に進める打者と同じだけ価値があることになる。くり返し言うが、これがどうして意味を成すだろうか。

(中略)

ここで私が強調したいのは、「得点」と「打点」を与える過程というのは単にチームの得点を各打者に与えるモデルであり、そして欠陥があるということである。それはいくらかのアンチ・セイバーメトリシャンがあなたに信じさせようとするような「真実」ではない。



ここで注目したいのは、打点について批判するときに従来言われてきた「打順に左右される」とか「偶然の影響が大きい」といったことには触れてもいなくて、その制度の恣意性について根本的な部分からすっぱり切っているというところです。
偶然の影響は数を積めば平均化されますが、こればっかりはどうにもならない。
「一塁走者を三塁に進める単打」は、100本打とうが200本打とうが打点では何も評価されません。

もちろん、なんだかんだ言って優れた打者と劣る打者であれば、長い目でみれば前者のほうが打点を多く稼ぐだろう、ぐらいの筋においては問題はありません。しかし、別に既にこの世界にある制度やものさしというのは神に与えられたものではなく究極的には誰かが当人の考えで作ったものだという反省はいつでも心に留保しといてもいいのではないかと思うのです。
その上で合理性をチェックして、問題があると思って修正できるなら、修正したほうがいい。そういうシンプルな話です。
自分が打席に入るときにランナーの状況がどうなっているかなんてコントロールできないのだから、それは直接は評価しないものとして発生した打撃イベントに一般的な価値を加重する評価方法があったっていい(それがOPSなりLWTSです)。

プロ野球選手は、出した結果がどのように評価されるかで生活が変わります。子供においしいご飯を食べさせられるかが決まる。
そして選手に課せられている一義的な仕事とは試合に勝利することなのだから、勝利に貢献している選手は評価されて然るべきです。本当は勝利に貢献しているのに「どの選手が勝利に貢献しているか」を測るものさしに偏りがあって評価が低くなるということがもしあるとすれば、それは公正ではないし、選手個人にとってもチームにとっても不幸なことだと思います。
従って「我々は勝利への貢献を適切に評価できているか」ということを点検し、色々な活躍の仕方に対して平等に機会を与える懐の深さを持つことは望ましいことと思われます。

まぁ、ざっくり論理だけ言ってしまえば、評価指標について考えることには(人道的な目線でも)意味があるし、その観点で言えば従来の指標には問題点が見出せて、それなりに有力な代替案もある、それがセイバーメトリクスの議論だ、と言いたいわけです(無論、セイバーメトリクスの成果である指標には欠点がない、などという話ではありません。)。
私はなんとなくColin Wyersのこの記事を読むとこういうことまで考えてしまいます。

コメント

私などは現阪神の新井が40本塁打以上を放ちながら100打点に届かなかったシーズンに叩かれていたことを思い出しますが、このスタッツ、打点の創出には複数の要素と過程が絡んでいるにも関わらず一人の功績に帰してしまう点の他に、打点を得た選手が「得点を創出した」と錯誤させてしまう点がやっぱり問題になってきますよね。
出塁などの状況に大きく依存するというのはどの野球ファンも先刻承知だとは思いますし、「実際に入った点」という部分を重視するのは分かるんですけれども、算出の手法として目的に見合うかどうかって点について考えて欲しいというのはありますよね。

>Sibierskiさん

どうせ、程度の差はあれどれも恣意的な制度なのだから、昔からあるものでもタブー視せずに普通に議論する態度がまずはあってもいいと思いますね。
逆に言うとそれさえあれば、あとは結構単純な話が多いような気がします。

個人的に、セイバー派とアンチ派の考え方の違いは、
どんな風に野球を見てるか、というのが大きいと思います。
セイバー理論で選手の貢献度を捉えようとしているのは分かりますが、
精確で包括的になるほど「雇用者側の論理」という風に見えて、
一球一球に感情移入するタイプのファンとしては、冷めてしまうのです。
ではなぜ打率や打点を気にするかといえば、やっぱり選手の期待値を知りたいから、です。
この辺り、矛盾しているとは自分でも思うのですが、
(たぶんセイバー普及の最大の難点で)要は分かりくさの問題だと思います。
ゲームや野球雑誌等では打力、走力、守備力などの項目を用い、
多角形の図で選手の実力を示したりしますが、そのようにして、
従来の打撃指標に加え、セイバーの各項目を一目で分かる図を併記すれば、
案外あっさり普及していくのではないかな、と思います。

>sasaさん

こんにちは。コメントありがとうございます。
私はもちろん、本質的にはセイバーメトリクスは熱いプレーへの感情移入と背馳するものではないと思いますが、表面的にそう見えても仕方ない部分は多々あるかと思います。
そして、基本的にはセイバーメトリクスを否定する人を説得しようという気はなくて、同じ興味を持つ人と楽しく情報交換などできればそれでいいという姿勢です。
ですから「(議論が正しいかどうか以前に)なんだかよくわからんしやかましい。話聞く気もない」という人に対しては
そういう人にも聞いてもらえるように上手くプレゼンせねば、というよりは、そりゃそういう人のほうが多いよね、と思うだけという感じでして。
でも潜在的に興味があるかもしれない人に向けては書くし、まぁこの辺結構微妙なんですよね。「俺は話したいこと話してるから、もし聞きたい人は聞きにきてくださいな」ぐらいで、ブログなんかは結構ちょうどいいような気はしているのですが。

わざわざ返信すいません。
日ごろから色々思うところがあったので、この興味深いブログを見つけた瞬間に、つい手が出てしまいました……
ワンプレーの興奮は、突き詰めると、新興宗教団体の修行のように、思考停止しアドレナリンやら脳内麻薬の快楽に身を任せる、というものでしょう。
理性的に楽しむ人と、理性を失おうと観ている人には、一かゼロかではありませんが、傾向の違いはあるだろうな、と思います。
でも、よく考えると、興奮しまくったあとで、どっかからスコア引っ張ってきて分析しちゃいけないってわけではありませんし。
場違いなコメントをしてしまって、ごめんなさい。

>sasaさん

ああ、もしつっぱねているようにお感じになられたのでしたら、すみません。
私の場合わりと不真面目というか変な意味で虚無主義的(?)なので熱くならないですが
セイバーメトリシャンはそういう話題を好む人が多いので全然場違いではないですし
仰る内容には私としても直感的にうなずかされる点が多く、コメントをいただけて嬉しいです。

ある種の願望みたいなものを抱くとすれば、それはセイバーメトリクスみたいな「言葉」がこれまで野球を語るときに使われてこなかっただけで
「こういうの、ちょっと面白くない?」と私みたいな限りなく無力に近い存在でもなんか喋っているうちに少しは今まで使われてこなかった言葉が浸透していくんじゃないか、という気持ちはあります。
試合展開を語るなら「流れ」という言葉を、ランナーが出たら「勝負強さ」という言葉を使う、とかっていう常識が定着した過程は
一定の必然性に裏打ちされているにせよ、いくらかは恣意的な、偶然みたいなものなのではないかという考えがありまして。
だから、今から新しい言葉遣いが定着したって別にいいだろうと。
そのためにはsasaさんが最初に仰ったようなうまい伝え方がなんらかの形で必要なのでしょうね。

ところで「理性的に楽しむ人と、理性を失おうと観ている人」という観点、個人的にはそれをそのままセイバーメトリシャンとアンチ・セイバーメトリシャンに当てはめて議論することに賛成はしませんが
なんだか俯瞰的な見通しで世界をさっくり切っている感じが気持ちいいですね。

初歩的な質問です。

初歩的な質問です。HR数と得点の相関関係は OBPやSLG OPSと あるいは打率と相対的に比べると順位はどれくらいになるものなのですか?

おそらく打率が一番低く OPSが一番高いとは思うのですが・・・

>とくさん

http://www.hardballtimes.com/main/article/ops-for-the-masses/
上記URL、THTに投稿されたDan Foxのリサーチによれば
2000年代前半のMLBにおいて、主な指標の得点との相関係数は以下のような感じです。

OPS .955
SLG .913
OBP .910
AVG .843
HR .719

HRを含む詳しいデータは今手元にないですが、この辺の序列は対象とする時代を拡大しても、あるいはNPBでも大きな変化はないと思います。

ただ 他のブログでは 打率0.3 OBP0.6 OPS0.8という相関関係を載せているところも多く WPAとの相関関係も例えば下記のように 試合の決定的な役割をしばしばHRが大きな役割を果たしているという印象に見事に表してくれているように私は感ずるのですが。


データは今季のRCベスト40の打者。

結果は以下の通り

得点・・・0.09
安打数・・・0.23
ホームラン・・・0.51
打点・・・0.57
打率・・・0.21
出塁率・・・0.58
長打率・・・0.66
OPS・・・0.72

>とくさん

>他のブログでは 打率0.3 OBP0.6 OPS0.8という相関関係を載せているところも多く
そういう数字が多くあるのですか。私は不勉強にして見たことがありません。
MLBやNPBなどプロリーグの数字であることはとりあえず前提として、間違いなくシーズン成績での得点との「相関係数」であるか、1年だけなどサンプル数が少ない条件での数字でないか、などを確認されてはいかがでしょう。

WPAについては何故話に出てきたのかよくわからないです。
ひとつ前のコメントで引用したのはあくまでも単純に得点との相関関係であって、それは打者のWPAと本塁打項目の相関関係と比較しても直接は何も教えてくれませんし(対象が違うわけですから)
そもそも相関係数というのは相対的な説明力を表すもので、相関係数の高さがインパクトの大きさを表すものではありません。

ご無沙汰です。
コメントでのsasaさんとのやりとり楽しいですね。

野球を楽しむという観点だけでとらえてもいろいろと評価軸はあるかとは思うのですが
それがセイバー的であろうとなかろうとなんでもよいのですが(でもセイバー的でないと意味はないか)
何か野球の醍醐味、楽しみを他のものにうまく喩えることってできないものでしょうか?
そのへんに糸口はないですかね?
(まあ、醍醐味ってなんよって問題もありますけども)

男性が果てるときは、フィニッシュ(打点?)にしか価値がないわけですが
たとえば将棋なんかで勝つときは、詰めろや寄せの段階より、多分それ以前に価値がありますよね。
なんかちょうどよいモチーフでもないかしら?

>masaka2さん

なんだか色々と考えてしまうのですが
セイバーメトリシャンの悪いところは、たとえ話として模式的に言えば
論理的に考えることに価値を見出さない人に向かって「何故論理的に考えないのか、論理的に説明せよ」というようなことを言うか思うか態度に出してしまうことではないかと。それが水掛け論であることを当人が気付いているならいいのですが。
あるいは「これこれこういう理由で、セイバーメトリクスは面白いですよ」って説明したとしても
そう説明されてはじめて納得するような人が本当に面白く感じるかっていうのは疑問と思います。
根本的には「なんだかよくわからないけど面白い」状態がいいのであって、面白さや醍醐味についてリアルかつクールに分析しようとするとその姿勢自体が本来的な魔力と背理にならないかっていうのが怖いんですよね。
基本的には、セイバーメトリクスなんて単なる道具ですからと、面白い見方を色々発信していけばそれでいいのでしょうけど。うまい喩えがあったら嬉しいですね。

科学音痴の偏見まじりですが、感情は結局の所、脳内で分泌される麻薬物質やらの作用であって、
野球観戦は酒や薬物での酩酊のような物(というか、薬物による精神への作用が、感情に似ている、というべきでしょうか? )と思いました。
ただ酔うために酒を飲む人もいれば、酒の風味を楽しむ人もいると思います。
そして酒の味が好きな人に、旨い酒とは? と聞けば、酒の香りや、味、舌触りを語るのでしょうが、その香りや味を分析すれば、旨い酒とは、これこれの物質が、こんな風な割合で混ざり合った物だ、ということまで分かるかもしれません。
今まで飲み比べてきた中で気に入った銘柄の酒を選ぶか、中身の成分を比較検討して自分の好みに合ったものを選ぶか、の違いですかね。単純に対置しすぎかもしれませんが。
しかし、酒に強い弱いがあっても、酒を飲めば酔っ払うのは誰にとっても同じですから、悪酔いせず、節度を持って楽しむべきですね。いやほんと、ひどい酔態を見せてしまってすいません。

確率のゲームでいえば、マージャンやカードゲームなんかは
一部喩えになるようなところもあるかもしれないですが
結局、なんとなくヤブヘビになってしまう予感もありますね。
(うまい喩えがないかといっておきながらなんですが)

皆さんの分析や評論をみてるだけの私がいうのも変な話ですが
真理の追究を厭わないセイバー的楽しみは、1ファンの究極形にあると思います。

ただそこまでサっと行きつけるのは、やはり一握りであるとは思いますし
反面、(前にも書いたかな)直感的、脊髄反射的に楽しめる魅力がまだ野球に存在してるのはある意味救いでもあるし
さらには、変な話(失礼かもですが)、マイノリティだからこその価値もセイバーにはあるような気もします。
今は知られてなさすぎですけども、もう少し浸透すれば、わかってるファンという権威づけもできるような。というか。

リアルタイムで観戦している最中に
「感嘆や感心」などという感情が「感動」を飛び越えるのは、
現実的にどうやっても多分無理だと思うので、
試合終了後のオフタイムにどう存在感を示すかなんでしょうね。

うまい棲み分けがなされるとよいですが。

とりとめもなくてすみませぬです。

>sasaさん

私のように楽しめてしまう者にとっては「理由はともかく」どちらもアリ、なのですが
面白さの理由を分析して説得的に提示しようとする、というような図々しいことをやろうとすると話が変わってきてしまうのですよね。
とりあえず単純に言えば「節度を持てよ」ということなのでしょうが
まぁ、機会があれば色んな人と楽しくお話ができる可能性へのアプローチをしたいとは思います。
なんだか話がスタート地点に戻っていますが、それでいいんだということでしょうか。
気になることがありましたらまた突っ込みよろしくお願いします。


>masaka2さん

>直感的、脊髄反射的に楽しめる魅力がまだ野球に存在してるのはある意味救いでもある
結局はそうでないと困りますよね。それを尊重しながら、自分は自分の立場の表明というか。
クールに考えれば、私なんかの立ち位置とすれば、楽しみ方の提案とか大それたことは無理でも
「とりあえず自分が楽しんでみせる」だけ考えればいいのかもしれないっていうふうにも思います。
それで興味を持ってくれる人がいれば嬉しいし、そうでないなら無理におしつけても仕方がない。

>マイノリティだからこその価値もセイバーにはあるような気もします。
「私は他の人々とは異なる見方をする」という構えがブレークスルーの根源だとすれば
セイバーメトリクスは原理的にマイノリティなのかもしれませんよねw

見ている側が直感的に楽しむのは健全だと思いますが、仕事をしている側がセイバー的で無いのはちょっとどうかと思うんですよね。四球の大事さを教えられるコーチがいないだとかバントの損失に気付かずにサインを出しまくる監督だとか打率や打点に高値をつけるフロントだとか(いや勝手なイメージで実際は知りませんが)。まあもっと広い目で見れば仕事をしている側が感覚に左右されてはいけない事も無いでしょうし、言い方は悪いですがたかがスポーツにベストを尽くさなければいけない事も無いのかも知れませんが。それとも実は四球が増えたりバントが減ったりするとファンが減る、なんて事なのかもわからないので無意味な意見かも知れないですけど。乱文失礼しました。

>tankさん

私は立場としてはもちろんそう思います。客観的に評価をすることは、公正なだけでなく人道的かと。
何故かあまりこういう目線での評判を聞きませんが『マネー・ボール』なんて本当に人間ドラマとして感動しましたし。真摯に頑張っても「思い込み」で虐げられていたプレーヤーが機会を与えられるという。
一方で苦しい局面に変わる人もいるでしょうが、スタートラインが(できる限り)公正に揃っていないならそのほうがずっと問題だと思います。
これにファンの趣味とか有機的な要素がどう絡まってくるかはまた別問題ですね。

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セイバーメトリクス(野球の統計的分析)の話題が多く、馴染みのない方にはわかりにくい内容があるかもしれませんがサイトに体系的にまとめています。

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